2020年12月27日 サイエンスらいおんカフェ第93回(渡部麻衣子さん)
※事前の広報内容はこちらです。
※宇都宮市立東図書館(サイエンスらいおん参加機関)による参考図書一覧[PDF]
今回からしばらくの間、2022年3月開催の公開シンポジウム「技術といのち」と連動したゲストをお招きいたします。
初めのゲストは自治医科大学講師の渡部麻衣子さん。
自治医科大学で今年度取り組んでいる、
JST-RISTEX 科学技術の倫理的・法的・社会的課題への包括的実践研究開発プロジェクト-「技術構成主義」に立つ「生と死」をめぐる倫理の分析と社会的議論の啓発に向けた企画調査
の代表者としても活動されており、今度の公開シンポジウムでも中心的な役割を担っていただく予定です。
参加者の自己紹介を経て、早速スタート。
渡部さんは現在、自治医科大学では倫理学の研究室に居られますが、もともとは科学技術社会論や技術倫理といった自然科学・社会科学寄りの分野がご専門とのことで、ご自身もかつてサイエンスカフェの企画をされたことがあるそうです。
前述のJSTのプロジェクトは通称「技術死生学プロジェクト」と呼んでおり、あまり馴染みが無い言葉ですが、科学技術を、倫理学・哲学・文化人類学・現代芸術・伝統芸能といった多様な領域それぞれの視座から見つめ、科学技術と「生と死」との関係について議論し、考えていこうというプロジェクトということでした。
今回は、大きく4つのテーマについて話題提供いただきました。
①プロジェクトの目標
この技術死生学プロジェクトでは「科学と人の関係性についての理解をバージョンアップする」という高い目標を掲げているそうです。
参加者の皆さんに渡部さんから質問。
「科学・技術は人にとってどちらかというと善いものである。」
「科学・技術は人にとってどちらかというと危険である。」
そう思う・まあそう思う・あまりそう思わない・そうは思わない、の4択です。皆さんはいかがでしょうか?
渡部さんのご専門でもある科学技術社会論では、過去に「科学技術が人にとって良くなかった」という場面がいくつかあり、それらをどうしたら良い方向に持っていけるのだろうか?といった議論や試行が行われてきたそうです。
”人”と”科学技術”をそれぞれ敵対化させる見方ではなく、相互に作用しあいながら作りあげられるもの、つまり、科学・技術は人を作りあげ、人が科学・技術を作りあげるものである、といった循環的な考え方を「技術構成主義」と呼び、今回のプロジェクトで光を当てたい点であるとのことです。
②胎児の視覚化
渡部さんが最も技術構成主義を表している技術の一つと考えているのが、胎児の視覚化だそうです。
1960年代ごろから始まった胎児の視覚化は、羊水検査や超音波検査(エコー検査)など、時代と技術の進歩によって変遷していきます。その背景には、胎児の染色体異常などの発見の歴史とオーバーラップしているという事実があり、「人が見たいもの」と「科学が見せるもの」とが循環的に作用してきた技術構成主義の歴史でもあるということです。
③知覚の規範
このような技術の発展とともに考えなければいけないのが、「人は何を見るべきなのか?」ということであると、渡部さんは唱えます。これを定めているのが知覚の規範であり、「知覚の制度化」であるとのこと。いくつか書籍から話題提供いただきました。
こちらの書籍では、科学の体系化とは「見るべき対象の体系化」であり、「見るべき対象以外の排除」であるということ。
こちらの書籍では、知覚の限界がすなわち、その人の見ることができる「世界」そのものであるということ。
こちらの書籍では、生物それぞれが感知できる範囲などには違いがあり、世界とは客観的なものではなく、それぞれの生物独自の世界(環世界)であるということ。
これらのことから、「何を見るべきなのか?」=「どのような世界を作るのか?」という考え方もできるようになります。先行事例を挙げていただきました。
こちらの書籍では、科学の導く知覚の規範は、社会的規範を基盤とするということ。
こちらの学会誌では、表紙イラストに女性型ロボットが掃除をしている絵を掲載し、批判・炎上してしまった事例で、ロボットと女性に何を見ているか?という世界観の例。
こちらの商品では、好きなキャラクターと一緒に居られるホログラム製品で、人の見る世界が技術により変化していくという象徴的な例。
④「いのち」をめぐる知覚の規範を知る
以上を踏まえて、「科学・技術はどのように”いのち”を表しているのか?」ということを考えていきたいと、渡部さんは話します。
- Pepperなどのソーシャルロボット
- 実験動物の適切な扱い
- 医師の死亡確認
- 看取り・お見送りの文化
- 「能」に表される死生観
- 供養絵額
- VR上で死者を再現させる技術
これらの倫理や表現・技術などを通して、私たちのいのちをめぐる知覚の規範が作れるのかどうかを議論しているとのことです。こちらの書籍では、「技術に同行する倫理」という観点から述べられています。
まとめとして、「何を見るべきなのか?」「どのような世界を作るのか?」ということを私たちは「選択」することができるのか?という問いかけと共に、来年3月に開催される公開シンポジウムに繋げていきたいとのお話で、話題提供を終了しました。
ここからは、参加者とのフリートークに入りました。
- 技術とともにある倫理とそれ以外の倫理とは何が違うのでしょうか?
- 技術によって今まで見えてこなかったものが見えてくるという世界がある一方、現在の倫理と昔の倫理は当然異なるので、過去のものでも現在の倫理でスパっと判断しても良いのか?
- 知覚の規範を社会的に規定したり道徳化したりするのは誰なのか?
- 「何かができる」ようになると,そこから様々な「悩み」も派生してくる・・・という印象を受けました。その「悩み」を解決するのも「(科学)技術」(とその連携?)なのかと・・・。
などの質問や感想がありました。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
[文責:藤平 昌寿(とちぎサイエンスらいおん客員研究員)]