イベント開催報告 02

Published on 5月 30th, 2021 | by サイエンスらいおん事務局

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2021年5月16日 サイエンスらいおんカフェ第98回(岡部祥太さん)

※事前の広報内容はこちらです。
サイエンスカフェ98-チラシ
※宇都宮市立東図書館(サイエンスらいおん参加機関)による参考図書一覧[PDF]

今回のカフェは公開シンポジウム連動企画第6弾。

ゲストは第95回にもお越しいただいた自治医科大学の岡部祥太さん。
自治医科大学で今年度取り組んでいる、
JST-RISTEX 科学技術の倫理的・法的・社会的課題への包括的実践研究開発プロジェクト「技術構成主義」に立つ「生と死」をめぐる倫理の分析と社会的議論の啓発に向けた企画調査
のSTS(科学技術社会論)グループメンバーとして、前回の水上拓哉さんとともに活動されておられます。

第95回では動物実験の歴史についてお話いただきましたが、その中でソーシャルロボットについて触れられており、その後のやり取りの中で今回のテーマについての話が持ち上がりました。
今回のテーマは、
「ロボットに心はあるのか?」
です。

今回は、お子さんや親子での参加もあり、正に老若男女、多くの皆様が参加されました。
(画像以外にも音声参加の方が多くいらっしゃいます)
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簡単な自己紹介・哲学対話のルール説明の後、岡部さんからソーシャルロボットについての簡単な説明をしていただき、残り時間は全て対話に費やします。
岡部さんはソーシャルロボット「LOVOT(ラボット)」と共に登場です。
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対話のスタートはズバリ、「ロボットに心はあるのか?」から始まりました。
早速、「あると思う」「無いと思う」双方の意見が出てきます。

ここで参加者のお子さんから質問。
「心って何ですか?」
いきなり大きなお題が投下されましたが(笑)、この質問に多くの皆さんが色々な返答をしてくださいます。
ここで岡部さんから、LOVOTの開発者は元々Pepperの開発もされていた、という話題を提供いただきました。

ここから、
「Pepper君に心はあると思う?」
「ドラえもんには心があるか?」
「しゃべるお掃除ロボットが楽しかった」
「お掃除ロボットが壊れたら、不燃物として出せる? お葬式したいと思わない?」
「鉄腕アトムが悲しいと自分も悲しい。悲しくなるのは手塚治虫のせいではなく、アトムが悲しいからだ。」
「ほんとうの心って何?」
「岡部さんはどうしてロボットの心に関心を持ったの?」
といった疑問や感想が次々と出てきます。

岡部さんからは、
「例えば、ペットと人間といった、人間以外の存在と人間とがどのように関わるか、という関わり方に興味があった。前回カフェのテーマであった実験動物もロボットのように見える。ロボットと人間は心を通わすことができるのではないか?と思ったから、関心が出てきた。」
とコメントされました。

参加者からは更に、
「最近、モノに対しても愛着が湧くようになった。心の定義の他に愛着も必要?」
「ロボットにもこころがあると思った方が楽しいじゃん」
「言葉を通すのと言葉を通さずにとの違い。自分らしさを出しやすいのは言葉を使わない方?」
「日本人だとロボットや機械にも名前を付けてかわいがる。ところが欧米人にはそのような傾向はあまり見られない。ロボットに対する感覚は国によって違う?」
「小難しいことは考えずに、心があると思ったら、心があるということで良いのではないか?」
などと、対話は続きます。

ここで参加者から、
「なぜ今、それほどまでにソーシャルロボットが必要とされているのか? ロボットでなければならない理由は?」
という疑問が投げかけられます。

それに対して、
「おしゃべりする相手がいないとか、アパートやマンションなどでペットが飼えないとか・・・」
「現代の情報量の多さに対して、人なのか、動物なのか、ロボットなのかさえも曖昧にした”心地良さ”を求めているのではないか?」
「自然の中で呼吸のリセットを行う代わりとして、ソーシャルロボットがあるような気がする。」
「例えば猫ならば成長や死などのライフサイクルがあるが、ロボットには無い。もしかしたら今後、死ぬロボットも出てくるかもしれないが、制作者の意図が含まれる。一種の詐欺のような罪悪感も感じてしまう。」
「LOVOTの制作者の動機の一つに、”動物は死ぬから飼えないという人が大勢いる。だから死なないものを作る”という話があった。」
「LOVOTは犬っぽい。」
「人間はわがまま。大人になっていくに従い、自分らしさを出そうとすると否定されがち。だから、自分らしく振る舞っても許されるツールとしてソーシャルロボットがあるのかな。」
「たまごっちは最後死ぬ。お掃除ロボットも壊れる。ロボットにも寿命があると思う。」
「LOVOTは機械が壊れてもデータはクラウドに保存され復活可能だが、機械が壊れた段階で交換を望まない方も一定数いる。」
「子供の場合、Siriを奴隷のように使ってしまうことを恐れて、使わせない親も居る。」
「人間のロボット化と、ロボットの人間化が、共振していくということもあるのかな?」
といった意見が次々と紡がれていきます。

「ロボットなどとの交流で、子どもの感覚が独り歩きすると捉え方が難しくなり、人との関係性はどこで実践していくのか、距離感が薄らいでいく中でリアルな社会が成立するのか?というのもある。」
という意見から、更に話は展開していきます。

「ソーシャルロボットの浸透は難しい面もあるが、期待される分野もある。例えば、感染症のハードルが高い所にも入っていけたら良いとは思うが、ツールが中毒になってしまうと厄介ではある。」
「ペットは人工的、家畜化としてデザインされた存在でもあり、ペットの倫理からロボットの倫理が学べないだろうか?」
「人工衛星のはやぶさは、帰還時に”お帰りなさい”と迎えられたり、大気圏突入で消滅する様子に涙を誘われたりするのは、一種のアイドル的な存在ではないか?」
「農業や酪農も本来の”自然”ではない。人間との関係でこころは決まってくるのでは?」
「人間と機械は、AIが入ってきていることもあり、曖昧になってくるのでは?」
「ソーシャルロボットの活躍する場面は多いと思われるが、気を付けないと手段の目的化になってしまう。」
「ネガティブな感情を起こさせるロボットがあっても良いのかも。」
「人間の進化の過程で獲得してきた能力と、ロボットに込められる意図とは、異なるものでは?」
「動物の家畜化の歴史は意図以外のものも含まれていて、探ることが難しくなっている。」
「ロボット倫理学は軍事利用の方面で活発になっている。ソーシャルロボットはこれからか?」
「ロボットに芸術が分かるのか? 今まで美しいと思っていなかったものが美しいと思うようなことが、ロボットにあり得るのか?」
といったように、様々な方面に話が発散していきます。

「自分を持っていない人が多い。周囲に揺さぶられて生きている人が多いと思う。ロボットとの関係性を考える上でも、自分たちがぶれないようにするのが大切なのではないか?」
という意見から、対話も終盤に入ります。

「今だとペットは家族化している。近い将来、ロボットが家族化していくこともあると思う。」
「こころの正体は分からない。分かっていれば今日のお題はすぐに答えが出る。」
「今日の対話は”関係性”を軸に話をされているが、心や自我・感性などの正体を掴み切っていないからこそ、”ロボットに心がある”という結論になる可能性を秘めている、とも言える。」

といった所で、時間切れとなりました。
結論を出さなくても良いのが哲学対話のルールでもありますので、それぞれが今日感じたこと・知ったことを持ち帰って、更に思考を深めてもらえればと思います。
小学生の参加者も最後まで良く話を聴いてくれました。将来、再び同じテーマで話ができると良いですね。

半年間にわたってお送りしてきた技術死生学シリーズも今回で区切りとなります。
今後、トピック的なテーマがあった場合はもちろん、スポット開催もあり得ます。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

[文責:藤平 昌寿(とちぎサイエンスらいおん客員研究員)]

 

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